後に黒歴史化しそうなオタクのブログ

後に黒歴史化してそうなブログ

最近のオタクカルチャーが苦手

不快感を催す方もいらっしゃる事を承知で申し上げます。

ワタクシ、「尊い」という定型フレーズだとか推しのためならエンヤコラ〜みたいな凝り固まりつつあるスタンスで語られる近年のオタク像が好きになれないのです。

オタクというのは推されているキャラクターの数だけ存在し、そのあり方は十人十色です。例えばこれでもかというばかりにグッズを買い込み、あるいはスパチャなどに精を出す(意味深)者あれば、一方では金などはあまり落とさない一方コンテンツの研究に熱意を傾ける一途な者もいることでしょう。彼らの目に映るキャラは同じキャラであっても見え方は恐らく個人により違うものとなるでしょう。

 

 

それを、それをですよ。「尊い」だとか「ありえん良さみが深い」だとか「推しのためになんでもするオタク像」だとか定型句・イメージで括られるわけです。

そのような所に抵抗があるのではないかな、といった結論に至りました。

淫夢のようなコンテンツに興じていた(というか今も好きなのですが)私が言える事ではありませんがこのような完成された「語録」は最早記号の類であり、個人の闊達な感情を表すには向いていないと思うのですね。

 

確かにこのような「記号」は対人コミュニケーションにおいては非常に有用です。だってリアルで阻害されるようなコミュ障ぼっちだって定型句とその応用方法についてさえ要領を得たならばある程度の意思疎通は図れますから、というかそういう観点から人気が出るんでしょうね。(ブーメラン)

 

ですが簡潔さと汎用性に長ける代わりにその機能には限度があることは否めません。利便性に目が眩みそのような「記号」に頼りきりになると本音さえ見失ってしまいそうなものです。

 

もしこの文章を読んで我が身に思い当たるフシを見つけたオタクさんがいたなら、拙さなどを気にせず自身の作り上げた言葉を使って自分の見たものに立ち向かってみて欲しいなあと、そう思った次第でございます。人の事を言えた身ではありませんが笑